うらばなし

【ミャンマー】ヤンゴンで1年間日本語教師をしてみた話。

こんにちは!ナナ(@NTabikawa)です!

私は2016年5月~2017年6月の約1年間ミャンマーはヤンゴンで日本語教師をしていました!外資系自動車部品メーカーを辞めて、唐突にミャンマーで仕事を始めたのですが、そんな話をすると「すごいですね。」と言われます。が、そんなにすごくもないと思っているので、ミャンマーで日本語教師をやってみたいという方(…いない?)のご参考に(ならないかも?)なるといいなと思います!

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何故ミャンマーで日本語教師?

仕事を辞める決意をした理由

まず。なぜ仕事を辞めてまでミャンマーに行ったのかというと。

「日本がきゅうくつだったから。」「会社で仕事をするのが嫌だったから。」「東南アジアが好きだったから。」に尽きます。「好きな国で仕事をすれば、仕事も好きになるだろう」「もっと自分らしく生きる道を見つけたい。」という安易な希望を胸に東南アジアで仕事することを決め、ウキウキで退職しました。

「それだけで仕事辞めちゃうのか?」と思うかもしれませんが、それだけ「日本で会社員」ということが窮屈だったんです!自由奔放な人間のため、自分を無理やり型にはめて仕事をするのが合わなくて、ずっと悩んでいました。そのため、ミャンマー行きを決意する前も、もっと自由に、自分にしかできないことを探して、他にも色んなことを試してきました。

当時は職場の人間関係にも恵まれ、同年代よりもかなりお給料を頂いていたのですが、ただただその想いだけで会社を辞めました。

ミャンマーという国を選んだ理由

それは、東南アジア 7カ国の中で「一番ミャンマーの人が好きだった」からです。

特に東南アジアの就職先のあてもなく、仕事を辞め、とりあえず、自分の好きな国を見つけよう!と東南アジア 7カ国を3.5ヶ月かけて旅をしました。(インドネシア、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、マレーシア)

どの国の人もみんな優しくて、すっごく楽しく旅行をしたのですが、一番親切にしてもらって驚いたのがミャンマーだったんです。行ったことがある方は、みんなうなずくところだと思うのですが、敬虔な仏教徒のミャンマーの人はホスピタリティに溢れていて、正直で素直な方が多くて、FALL IN LOVE♡しました!

「日本語教師」という職を選んだ理由

まず、私が日本語教師の資格を持っていたり、経験があったのかというと、まったくの経験0でした。それなのに、なぜ、日本語を教える道を選んだのかというと。理由は4つあります!

  1. 日本で日本語学校のオーナーに出会ったから。
  2. ミャンマーの日本語学校に行って、お手伝いをさせてもらったり、生徒に観光案内してもらったりしたのが、すごく楽しくて、ミャンマー人の生徒と接するのが好きだし、向いていると感じたから。
  3. 「日本語が話せる&教える」という、日本人としての自分の価値を見出せたから。それが、生徒たちが日本で実習生・留学生として経験を積むための助けになると思うと、頑張れる!と思えたから。
  4. 英語がある程度話せるので、言語として文法の説明ができる&言語習得に必要なものはわかると思い、未経験でもできるはずだと思ったから。

どんな人に日本語を教えていたの?

ミャンマーで日本語を勉強している人は20代~30代前半が主で、日本語を身に着けて、日本で仕事をしたい人、日本に留学したい人、ミャンマーの日系企業で仕事をしている人が学校に通っていました。ヤンゴンとマンダレー(大都市)に日本語学校が集中しているので、地方出身で、親に仕送りをしてもらって生活・勉強をしている人が大半です。

日本語のレベルは英検のように日本語検定があり、N5、N4、、、N1とレベル分けがされていて、数字が小さいほどレベルは上がります。

大体3ヶ月で1つのレベルの授業が終わります。が、やはり一番初めのN5は「ひらがな」「カタカナ」から始めるので、かなりハードが高いです。これが覚えられなくて、脱落する生徒も結構いました。2つの壁を乗り越えた生徒には、さらに「漢字」という高い壁が立ちはだかります!

ちなみに、私はN5(初級)とN3(中~上級)の授業を担当することが多かったのですが、N3の授業を教えるのが好きでした。というのも、N3まで勉強する生徒は意欲も高いので、教え甲斐もあるし、教える内容も少し難しくなるので、生徒に理解してもらえた時は嬉しかったです。

N5はミャンマー人の先生と組んで授業をしたり、日本語が上手な生徒をアシスタントに教えたり、日系企業で教えた際は英語でも教えました。一人だとやっぱり意味が通じないので、難しかったのですが、それでも頑張って勉強する生徒を見ると、嬉しくなりましたねー。

一番苦労したことは?

一番苦労したこと、それは「虫」‼‼‼

東南アジアが大好き、暑いの大好き、ストリートフード大好き、ローカルのバス全然オッケー。なのに、虫だけはダメなんです。

ミャンマーは1年中暖かいので、もちろん「黒くてテカテカしたあいつ」はそこいらにいます。夜、街をあるくと1分に1匹は視界に入ります。いやー、おそろしい。住んでいると大体どこから出てくるかわかるようになるので、事前に避けて歩くようになったり、生徒や道行く人に助けを求めたりしていました。

ローカルの女子寮(お風呂はポリバケツのレベル)に住んでいた時は、2日に1回ぐらいは部屋かお風呂かキッチンで遭遇したので、マジできつかったです。よく頑張った、私…。

※ちなみに、2019年4月に久しぶりにミャンマーに行ったら、路上で出る「あいつ」の数が激減していました!3週間で4-5回くらいしか見なかったくらいです!殺虫剤でも巻いているのかな?と思いつつ、不思議に思いますが、嬉しい!

一番嬉しかったことは?

一番嬉しかったことは、やはり生徒の日本語が上達するこです。

生徒が自分から勉強してきたり、宿題を率先してやってきたりした時。そして、彼らの日本語が伸びているなと感じた時が一番嬉しかったです♪上達する生徒はやっぱり日本語の勉強を楽しんでいるか、間違いを恐れないタイプか、先生とよく話しているかのどれかに当てはまることが多いです。生徒がそのどれかになってもらえるようにと工夫をするようにしていたので、その工夫が生徒の成長・日本語の上達に繋がるととても嬉しいですねー。

あとは、実習生・留学生として日本に渡った生徒と会うと、「成長したなー♨頑張ったんだねえ!」と親になったような気持ちになります。日本でアルバイトや仕事をするのは、ミャンマーとレベル違いの厳しさなので、はじめは相当苦労したと思います。それでもたくましく日本で生きている姿を見ると、本当に嬉しくなります。

「日本語を教えるのは本当に生徒のためになるのか?」という迷いもありつつ、教えていたときもあったので、日本にきた生徒に会って「生徒が日本語を学んで、日本にきた意味がある」と思うことができました。

何故日本に帰ってきたの?

私がミャンマーで仕事を始めた時には、「東南アジアに住む」「東南アジアで仕事をする」ことが未知で、自分に合っているのか、続けられるのかわかりませんでした。そのため、まずは1年仕事をしてみて、その後どうするかを決めようということを決めてミャンマーに行きました。

ミャンマーで1年経ったときに、「ミャンマーで仕事を続けるか、日本に戻るか」を考えたた時に、自分の準備不足、能力不足を痛感しました。「ミャンマーで日本語を教える」ということ自体はとても楽しく、向いていると思ったのですが、更に3年ミャンマーにいることを考えたときに、自分の中で下記2点が大きく判断に影響を与えました。

  1. ミャンマー滞在時は、お年頃(30歳頃)で、将来のライフステージの変化があるときには、日本にいた方が選択肢が増えると思ったため。状況や精神的な変化があり、自分の考え方も変わった時期でもありました。
  2. 今後3年間も当時のままで過ごすのは、金銭的に難しいと思いました。先生をしながら自分で事業を始めたり、掛け持ちで仕事をする選択肢もありましたが、うまい道を見つけることができませんでした。こちらは自分の準備、行動不足です。

私は1年で帰国をするという選択をしましたが、私が勤めていた日本語学校の日本人の校長先生は5年以上ミャンマーで事業をしていたり、日系企業に勤めている方はミャンマー歴2年以上だったり、色々な方がいました。

自分としては、もう少しいれたら良かったなとは思いますが、ミャンマーに行ったことも日本に帰ってきたことも後悔はしていません。あの時の自分に必要な判断だったし、経験だったなと思っています。

まとめ

ということで、ミャンマーで日本語を教えるのは、最初はキツイですが、意外にできます!飛び込んでしまえば、結構簡単に仕事が見つかるレベルです!ただ、注意したいのは、現地採用だとお給料は日本と比べると低くなってしまうことが多い、ということです。

それでも、チャレンジしてみたい!ディープなミャンマーを感じてみたい!という方は、期間を決めてまずミャンマーで日本語教師にトライしてみると良いと思います!行ってみたいけど、不安だという方は、私で良ければご相談にのりますので、是非コメントかSNSでメッセージをください!

お待ちしておりまーす♪

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ABOUT ME
Nana
社会不適合者のアラサ―ニート女子です。会社で仕事をするのが嫌いで、2018年12月に突発的に仕事を辞めました。趣味はバックパック旅行(最近は東南アジア)と食べるコト。得意なローカル密着型の旅について紹介しています。
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